【エゴを超えてください】「理解しよう」「理解できない」とかの頭で理解しようとすると、 理解できる範囲のせまーい現実しか体験できません

自己観察さん(自愛)
108式実践・成功体験談スレ【1】 - ザ・チケット板 - したらば掲示板
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100: もぎりの名無しさん :2011/03/24(木) 18:36:36 ID:AWrUISY.0

今更なのだけれど、
isaさんや捻くれさんのいう、
「自愛が本来のあり方」
というのが分かってきた。。

自己観察をすることで既にあるんだと体感し、
じゃあ好きな世界を選べばいい
と分かったはいいんだけど、
どうもブレーキがかかってしまう。

なぜか。
今見ている世界を無意識に否定していたから。
かなと。

「こうなれたらもっと良い」という望みは、
ポジティブそうに見えても
ネガティブ(=現在否定)
がひっついていたりする。だから、
「こうなれたら良いな」
→「でも今のままの自分も好きだよ」
と自愛すると、
叶っても叶わなくても幸せな自分は変わらない。
108さんの言う「叶ったらいいな、
でも叶わなくたっていいやというメンタリティ」
に自然となれる。

願望は生命表現というのもあったけれど、
自分というのは生まれた時から完結していて、
何かを足したり引いたり
する必要は全くないんだよね。
それを分かった上で、
したいことやなりたいものを望んだらいい。
まさに、子供のように純粋な気持ちで。
100%バカになるメソッド
なんてのもあったね。


私は願いを叶えることで
自分に価値があることを実感したかったみたい。
だから、叶わないと自分には価値がない
と落ち込むし、
叶えば優越感に浸った。
目に見えないから、
外側のステータスで自分を測ろう
としていたけど、
本当は、既に最高の価値があったんだ。


色々見えたところだったので、
文字にしてみようと思い書きました。
長文スミマセン。





173: もぎりの名無しさん :2011/03/26(土) 01:41:54 ID:psg5Ebes0

>>162

こんばんは。
いろいろ書きすぎてわかりにくいですよね。
ただ実践についてはシンプルなので、
そんな説明するようなこともないのです。
でもいい機会なので書いてみますね。

①自己観察をするのはなぜか
(自己観察をする意図)

私も人間としての部分があるのでw
普通に感情があります。
ただ不安とか不満の思考が始まっても、
自分の本来の立ち位置にいると、
それが自分のものではないとわかっているので、
すぐにその思考がどうでもいいものになるので、
そこに入り込まなくなります。

本来の立ち位置というのは、
愛であり完璧であり安心であり・・・
他にもいろんな側面がありますが、
要は、私は幸せそのものなので、
不安とか不満は自分のものじゃないのです。
で、「幸せそのもの」の自分に意識を置いているので、
不安や不満があったとしても
全然恐れる必要がないのです。

だから私は、日常で「自己観察をしよう」
という立ち位置にはいません。
ただ自然と、起きてくるエゴの感情や
思考に対しては
気づいていられる場所に
意識があるというだけです。
(「そうしよう」とすることなく、
自然にそういられるということです。)

自己観察を提案しているのは、
「何かをしないではいられない」
エゴに対して有効かと思うからです。
本当は「何もしなくていい」んですが、
そこで手放しに「何もしない」
ことが出来ない人も多いと思います。

そういう人は、まず自分が普段どれくらい
「自分のものではない」
エゴの思考にふり回されてるか
気づければそれを却下すればいいし、
そうやって慣れてくれば
いつのまにか本来の立ち位置
(「何もしないでいい」立ち位置)
に立っていることに気づくと思います。

つまり「自己観察」というと、
どうしてもメソッドとして
手段のように思われがちかもしれませんが、
「自分に気づいている立場に立つ」
ことは手段ではなく、
本来の自分の在り方なのです。




自己観察のやり方(プロセスのようなもの)

四六時中はなかなか難しいと思うので、
願望や不足を感じてるときの
自分の思考や感情に淡々と気づいてること。

気づいた視点のほうに意識を置いていれば
それ以上することはないです。
強い感情に取り込まれて難しいときは、
自愛なりリリースなり自分に合った心地よく
感じる方法で感情に向き合うといいと思います。
それと並行して、「別の領域」に浸って、
別の領域を十分に信頼すること。

目の前の現象に対して
「どうしたらいいんだろう」
「いつになったら、
どうやったら手に入るんだ!」とか
いろんな思考や感情が起きてくると思いますが、
それらは全部、目の前の現象に対しての
反応や感想であって、
自分の内側から湧き出てきたものではありません。
自分の内側にはそんなものないからです。

なので、
「ああ、これは外側に反応してるだけなんだな。
充足である私にはこんな不安は必要ないや。」
と気づくだけです。
決定権は現実(幻想)のほうではなく、
自分のほうにあるということです。

リアルは内側です。
つまり気づいてる視点のほうが真実。
なので、「別の領域に浸る」
ことは気休めとか、
ただ安心できるだけの場所ではなくて、
「別の領域」に浸ってること
それ自体が本当の「今」であり、
これからの現実を作るすべての源です。
だから実現の領域なのです。

私たちは本当は一瞬たりとも
「別の領域」を離れていません。
ただ外側に反応して起きてくる思考に
邪魔されてそれに気づいていないだけです。
だったら今この瞬間、
別の領域にいることを
思い出せばいいだけなのだから、
とりあえず浸ってみることから
はじめたらいいんじゃないかな、
ということです。


③自己観察の効果について

①の通り。


④実践においての注意事項

「観察しよう」と力を入れないで、
淡々と客観的に眺めてるほうがいい。
外側の出来事は幻想でしかないので、
幻想に反応してる思考や感情に
気づいてるというスタンス。


⑤自己観察さんが日頃心がけていること

心がけてるとかは別にないです。
適当です。
全然簡潔じゃなくて申し訳ない。
こんな感じです。
  



174: もぎりの名無しさん :2011/03/26(土) 01:56:47 ID:psg5Ebes0

>>162
あと、よくエゴに気づくことはできても、
エゴが強力で振り回されないでいることが
難しいという方がいるようなんですが、
そういう方は自愛とかもいいと思うんですが、
単純に「別の領域に浸る」ことで
別の領域への信頼が増えていけば
そういうこともなくなっていくのでは
ないかなーと思っています。




181: もぎりの名無しさん :2011/03/26(土) 02:55:52 ID:psg5Ebes0


>>179
「既にある」と「願望=実現」
は同じ意味で使っています。

例えば「欲しい!」と思った瞬間に
目の前にあったとしても、
それが自分のものとしてあるか
入手困難なものとしてあるかが
問題なんだろうと思うのですが、

別の領域を信頼できていると、
エゴでは「入手困難」としか
思えないような状況だったとしても
その「入手困難」がただの幻想で、
内側で感じる充足感が真実なのがわかるので、
渇望はありません。
そうすると、それがものすごく
スムーズに手に入ることになります。

もっというと、「欲しい!」と思うまでもなく
手に入っていることに後から気づいたりするので、
いつの間にか「不足」
を感じる状況がなくなっていきます。

これは認識の変更ありきというよりは、
別の領域を信頼すればいいだけだと思います。
(それが認識の変更といえばそうですが。)
なので、別の領域に直結すればいいんですよ。






224: もぎりの名無しさん :2011/03/26(土) 21:02:58 ID:psg5Ebes0
>>209

>>173の①の通り、本来の在り方として
別の領域への信頼は大前提です。
その状態にあれば、
そもそも「観察しよう」とか
「維持しよう」とする必要はないんです。
だから別の領域に浸ってみて即信頼できて、
その状態に在ることが出来るなら
それだけでいいし、
また観察してるだけでその状態になれるなら、
もちろんそれだけで十分です。

説明上、「観察すること」と
「別の領域に浸る」ことを別々のこととして
説明していますが、
実際は同じことを分けて書いてるだけです。
摂氏0度を融点と見るか氷点と見るか。
氷から見るか水から見るかの違いを
説明してるようなものです。

「並行して」というのは、
私はそのほうが楽に信頼できるんじゃないか
と思ったからそう書きましたが、
他人の一意見として参考にするだけにして、
自分にあったやり方を
見つければいいだけなのです。

>>210

私は「既にある」を軸として
アドバイスしてるつもりはないです。
「既にある」については、それがわからなくて
進めない人とかいつも質問がループしていたので
ちょっと書いてみただけです。
ですので特に重要視してるつもりはありません。
チケット原理主義者とか、
7章認識であるということを証明するには~とか
そういう意識もないですし、
なんだかいろいろ複雑に
考えてるなーと思いました。

>というのは、「既にある」
「私は充足に満たされている」
ということを実感できれば、
>それらが自動的に
手に入るとすれば冷静に考えたとき、
あまりにも超常現象的である
と思えるからです。

えっ、そうですか?
現象なんて内側の投影で
幻想だとわかってれば、
不思議なことが不思議でなくなります。
「超常現象的」なんて表現は、
固定した現実を前提として見てる
古い観念からの表現じゃないでしょうか。
内側のリアルさに比べたら
外側で起きることなんて
単なる辻褄あわせなんだから、
多少不思議でもいいんじゃないですかね。



プロスポーツ選手云々も、
他人の人生を推測することに
全然興味がないのでわかりませんし、
何をもって完全に自動操縦っていうのかも
よくわからないですが、
努力したければするだろうし、
何をしようがしまいが、全く関係ないです。

>「今に浸る」→「別の領域に浸る・信頼する」
→「既にあることが分かる」→???→「実現」

そもそも「願望=実現」なので
「願望→実現」ではないです。
たとえ物理的に「願望→実現」
に見えたとしても、
本当に自分の内側で起きてることは
「願望=実現」です。
→の部分は単なる辻褄あわせですから。
日常の生活と願望を結び付けて
考えすぎてるんじゃないかと思いますよ。


①自動操縦ってどんなのかわかりませんが、
「欲しい」と思ったら普通に買うし、
その時買わなくても後から手に入ることもあるし、
そのままどうでもよくなることもあるし、
そのときの自分の気分優先で
行動したりしなかったりするだけです。

②私の場合は、あまり「願望を持った」
という自覚はなく、ただ人生の流れが
完璧に調和してるなという感じなので、
「現象化するまでの時間」
というものの感覚がありません。


③7章認識というのは私にとって、
「今の自分が完璧なんだ」
という実感に過ぎません。
完璧な私にふさわしい調和のとれた
人生を生きてるだけです。

すごくエゴの固定観念で
固まったところからの質問なので、
求めてる答えとはずれてるかも
知れませんがこんな感じです。
全体的に、7章とかチケットとか
「既にある」を特別視しすぎてると思いました。
チケットに書いてあることは
他にもいろんな表現で
いろんな人が言ってるので、
「ありえない」こととは思いません。
私自身は本来の在り方だと思っています。
チケットはすごくシンプルで、
読み手の自由さがあるので
素晴らしいと思っていますけどね。

前の質問とかを見て、
実践してる方だと思ってたのですが、
これから実践しようと思ってる方なのかな。
こういう疑問を他人に答えを求めることは
単にエゴを満足させるだけのことですし、
わからないことをも明け渡して、
そのループから抜け出すことこそが、
自分自身を知ることに繋がっていくんです。

「理解しよう」とか「理解できない」とかの
エゴを超えていくということです。
頭で理解できる世界じゃないんです。
理解しようとするから、
理解できる範囲の
せまーい現実しか体験できないんです。

こういう疑問を持ったときこそ、
自分を観察してる視点に立つことを
実践してみたらいいと思いますよ。




225: もぎりの名無しさん :2011/03/26(土) 21:03:24 ID:psg5Ebes0
>>178
自分がかけがえのない存在であることを
本当に受け入れられれば、
「平穏無事に生きてることだけが最高の幸せ」
なんて思えなくなるよ。
たくさんの選択肢がある中から、
楽しくて素晴らしい事を
選択していけばいいだけだから。

願望が浮かんだら、
もうそれは自分のものなんだから、
いつまでも「願望」のままにして
渇望しないで
実現という充足感に
満たされていればいいと思いますよ。

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