383 : 浜崎 :2016/01/10(日) 19:49:02 RBXSPme.0
津留晃一さんのメッセージ集のように
人生ってきっと
「愛を思い出す」ゲーム
みたいなものなのかもしれませんね。
「私たちは、いわば二回この世に生まれる。
一回目は存在するために、
二回目は生きるために。」
ジャンジャックルソーの名言です。
私は何でこんなに不幸なのかと
子供時代から思っていました。
全く両親から愛されずに育ち
それを反映したかのような
愛を知らない人生を生きてきて
愛を求めていた。
けどそれが全くわからないから
ずっと迷子だった。
ただ自分を表面状だけで
満たすことだけを求めていて
いろんなことが叶っても全く持って
「安心感」などは出てきませんでした。
私は1回死んだのだなと思っています。
お金にも友達にも恵まれても
「自分が嫌過ぎて死にたい、消えたい」
という謎の呪いのようなものと
戦ってきました。
「お金も困らなくて大親友までできたのに
全く満たされない!
これ以上何を変えろというのだ。
モテなかったから?」
一番辛かったかもしれません。
次々とずれた願望にのっとられて
「モテないから死にたい」など
変な方向へと病んでいったわけです。
私は今ではさまざまなことに
感謝しています。
自分を自分で満たす、
外に求めても何もない、
自分で自分を愛さない限り
このままずっと願望にのっとられて
「何をやっても辛いループ」からは
抜け出すことはなかったと思います。
それこそ中途半端に愛し合って
その勢いで結婚して潜在意識と出会えなくて
自愛も全くしない人生だったら
ますます悲惨になっていたでしょうね。
私は1回死んだので(笑)
これからは生きるために
生まれ変わりました。
「生きる」とは自分のやりたいこと、
好きなことをどんどん謳歌して
嬉しい感情を感じたり
幸せな気持ちを感じたり
することだと思います。
結婚しても
「全く満たされないじゃないか!
ほんとの願望は何なのだ!」には
ならないとおもいます。
それはもう全部知ってしまったからです。
「私は自分を大切に愛したい」。
これに尽きると思います。
384 : 浜崎 :2016/01/10(日) 19:51:34 RBXSPme.0
さまざまなことが実現していくにつれて
なぜか全く満たされないループ続き。
それはきっと「自分を愛してほしい」
にたどり着くために
必死になるために
起きてきたことだったんじゃないかな
って思います。
気づいてほしい・・・
気づいてほしい・・・と
心の叫びも限界まで来てやっと
「愛を思い出した」状態ですね。
結婚できても願望は沸くでしょうが
大きなものはもうないと思います。
物欲がきえた今、
「ほしいと思うものが全くなくて
何も買えない自分」に
多少物足りなさも感じますね。(笑)
「全部お気に入りの持ってるじゃん。
これ以上置くところがないし
今もってるものの出番が減るから嫌だな」
みたいな状態で
消耗品くらいしか買いません。
それは、全部お気に入りものだけしか
買わないで4年生きてきたから
全部がお気に入りものもであり
それ以上を求めるまでもないくらいの
ものたちに囲まれて生きているので
「もっとお気に入りを見つけました!」が
めったにこないからです。
靴下1足、目覚まし時計、
トイレットペーパー
パジャマ、スプーン、タオル・・・
もう何から何まで
「こんな素敵なものならほしい!」
というものだけ選んで
それ以外は一切買わない生活を徹底したら
「これは素敵!!」がそろってしまって
選ぶ商品がなくなってきた感じです。
これはきっと願望にも言えることですね。
バキュさんの自己紹介にあるお言葉・・・
「現在は、願いは全て叶えてしまったので、
今は心の底から叶えたくなる願いや
欲しくなる物を探す毎日です。」
物欲のない今、本当に穏やかです。
現状が満たされているので。
あるから、もうもってるからいらないや、
がずっと続く。
インテリアすべてが超高級品とか
そういうのはありません。
単に私がほしくてたまらないものだけを
家においています。
セールや福袋、雑貨屋さんなどに
行く楽しみは一切なくなりました。
本当にほしいものが出てくるのを
待っている感じですね。
ちょっと前に引越しの挨拶で
真っ白のトイレットペーパーを
たくさんもらったんです。
私はお気に入りのめちゃくちゃ可愛い
香水の香りつきの
ヒョウ柄のトイレットペーパーを
こよなく気に入っていたので困りました。
掃除に使え?お掃除グッズは既にあるのに?
だからほしいという友達にあげました。(笑)
白いトイレットペーパーは
なにも悪くないんですよ。
あってもいいんですよ。
存在していいのです。ただ私は
「香水の香りつきの
ヒョウ柄トイレットペーパー」
が視界に入るたびに
「本当に素敵なトイレだ」と思っていたので
私には不要だったんですね。
願望もそんなものかもしれません。
「無理して白いトイレットペーパーを
愛さなくてもいい。
ヒョウ柄のトイレットペーパー
を使ったら良いじゃない。
そしてその白いトイレットペーパーの出番は来ない。
ヒョウ柄のトイレットペーパー使い切っても
きっと使わない。
売り切れで手に入らないときがきたら
探してもっと可愛いのを買う。
探してみたらお気に入りは
きっとそこにあるし出会える。」
こんな感じですね。
好きなものに常に目線が行っている。
自分が常に「大好き!」と思うことだけに
視点が行っているんです。
だから「愛せないもの」を無理に愛さず
つねに自分が「好き」「興味がある」
「ときめく」ということだけを
求め続けたらいいし維持したらいい。
トイレットペーパーの件は友達に
「頭がおかしい!」といわれました。(笑)
別に神経質って言うわけでもないんですよ。
普段超お気に入りのものを使っているから
ネガりながらむりやり使うことないでしょっ
て言う話です。
「私は自分を大切に愛したい」
たとえトイレットペーパーであろうと
私は自分が好きなものしか嫌です。
私の家では何をしてても自由なのです。
こんなちょっとしたわがままを
願望に当てはめて考えると
「こっちのほうがすき」「これはいらない」
と自己主張できるようになってきて
世界に対して
「私は自分を大切に愛したい」
私は自分が好きなことしか嫌です。
私の世界だから何をしてても自由なのです。
にありつけるとおもいます。
今は思い切り自分に
わがままを言わせています。
「甘いもの大好き!
しかも寝る前に食べるのが好き!
ダイエット嫌い!
でも太るのはもっと嫌い!」
→寝る前に甘いものを食べつつ痩せる私
385 : 浜崎 :2016/01/10(日) 22:45:56 RBXSPme.0
おそらく何が何でもほしいものしか買わない
ちょっとの妥協も許さずに
本当に求めたもの以外は却下
そんな生活は気づかぬうちに
自愛になっていたのだと思います。
ほしいものだけ手に入れる。
いらないものは家に置かない。
そこには一切の妥協はなく
安いから買う=安くなきゃほしくない
これはほぼ徹底して拒否しました。
きっと願望も同じものであり
見たい世界だけ見る。
見たくない世界はそこにとどまらないで
(どこで妥協しない)
それでも見たい世界を見ると決める。
叶いやすい=妥協
(自分はこの程度とジャッジして
あきらめる)
そっくりだと思います。物欲も願望も。
妥協しても「幸せ」なら
それであっても良いと思います。
セールで買ったものが
実はものすごく着心地のいいヒートテックで
お気に入りになることだって
ありますからね。
それもお気に入りのものとの
出会いのきっかけだったということ。
ちなみに私はこんまりさんや
カレンキングストンの断捨離本を
買ってほぼ読まずにあげました。(笑)
断捨離本すら断捨離でした。
そうしたいからそうした。自愛です。
掃除や断捨離で運気があがるのは
自愛に繋がるからなのかなと
思っています。
モノを捨てる・・・
厳選したものだけに囲まれてみる
余計な観念を捨てる・・・
心地よい思考のみに包まれる
結局は自愛なんですよね。
モノを捨てるときに心が痛むから
もう2度とこんなことはしたくないと思い
ほしいものしか
買わないことにしたんですよ。
だから心にも同じで
要らない観念が自分を悩ませるのだから
責めるのだから
夜に食べたら太る、中年は太る、
そういうことを捨てました。
心の中からデリートです。
美味しく食べ物をいただけなくなるなんて
こんな馬鹿らしいことなどありません。
モノを捨てるときに今までの思い出や
罪悪感で離れるのが辛いかもしれません。
余計な観念を捨てるときに
不安や恐怖があるかもしれません。
一歩踏み出すことがきっと大事なんですね。
ぼんやりと「こうだったらいいのにな」
と夜空を見上げていた頃を思い出します。
どうせ1回死んだのだから、
そしてまた生まれたのだから
自分の好きなようにさせてもらいます。
自由であっていい、妥協しなくていい、
妥協してもいい、
なんでもいい、私の世界だから。
そのうちテレビの情報やネットの情報、
友人から出てくる言葉などに
理解ができなくなることも
増えてくると思います。
おもしろい記事を見つけました。
これをみて
「おおおお!!!!!素晴らしい!!!」
という回答の方がいらっしゃいました。
それ以外の回答は私にとっては「???」
意味不明であり理解不能です。
ttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/8692449.html
自分らしく好きなことをしているだけで
いい。何も繋がってないし
現実努力なんてなにも意味はない。
だって繋がってないから。
だったら楽しく過ごしてるほうが
良いじゃん。
こんな感じなのでしょう。
この方の回答は7章そのものだと思います。
そしてほかの方の回答を
批判するわけではありませんが
このような情報が自分を
がちがちの観念に固めている「記憶」となり
自分を追い込むことになるわけです。
現実様にのっとられて自分を固定してるから
きっと辛いんですよ。
自分の世界なんですよ。
自分が最先端に立って全部決めないと。
占い師にこういわれたから「私は不幸」
おみくじが大凶だったから「私は不幸」
まさに現実にのっとられているよい例です。
見聞きした情報は好きなものだけ選んで
後は捨てる。
人間は観念の塊です。
私は自宅では好き放題やっていますが
外や人に「自分がこうだから
そうしてください」は求めません。
宿泊先で
「あの歯ブラシしか使いません!
無理です!」とか絶対に言わないです。(笑)
自宅だから超わがまま三昧なだけです。
結婚したら相手に合わせることも
必要かなと思いましたが
私のすべてを全部愛する人と
結婚するのだから私についてこれる人の
はずですので余計な観念は捨てました。(笑)
そして無条件に私も相手を愛するので
彼のライフスタイルとも
なじんで調和していくのだろうな
と思っています。
相手の自由も許します。
現実も同じで心の中では
好き放題に都合のいい思考だけに徹底して
現実生活の中では
コントロールしなきゃ良いのだと思います
皆さんありがとうございました。
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